2021-06-18

市中の山居より 第七回

米の花ひらくとき

 お粥は腸を掃除してくれる。飽食、添加物で汚れた腸内をきれいに、スッキリさせ、体温を正常にさせてゆく食――そんなリッパな動機で白粥を始めた。

 白粥は火加減を注意しながら、ただ気長に待つ。良い水と火が引き出す米の旨味がお粥の命なのだが、そのことがわかるまで、いろいろな米で試した。粘りの強い米は不向き、安価な米は味が悪い。目指すお粥はサラリとした喉越しの良さだ。

 ある日、小柄で筋肉がしっかりしていそうな中年男性が店に現れ、お粥を注文した。豆腐乳、ザーサイ、ピータンの薬味を添えて出した。彼は一度も丼から顔を上げずに食べ終え、汗を拭いた。そして私に「陰陽が完璧です」と言った。「ハッ?」「粥は素食の基本です。素は白です。何も交ざらない色です。何かひとつ足りなくても多くても、陰陽は崩れます。それは粥ではありません」。そして薬味はどのように決めたか?と訊かれたので「一番おいしい組み合わせだから」と答えた。「日本人なのに梅干を使わなかったのは、なぜ?」「適わなかったのです」「その通りです。食べものには朝が良いもの、夜が良いものと分かれます。梅干はいつ食べても害のない、それ1つで完全な食品なので、この薬味に加えますと陰陽が崩れてしまいます」。

 舌を騙す肉や木の実などを入れた粥があるが、厳密にはそれは粥とは言えない。どうしても何かを加えたいならば、夏なら緑豆、冬なら黍。どちらも五穀だから、粥の命を損なわない。陰陽の調った料理はおいしいのです、とその人は言った。私は陰陽のことはよくわからないが、循環と解釈した。

「日本の上質なお米を最高のお粥にしたい。コツがありますか?」彼に訊いた。「花ひらくとき火を止めよ」と彼は言った。水が見えて米が見えないのは粥ではない。米だけ見えて水が見えないのも粥ではない。米と水が溶け合い、なめらかな姿を粥という。米をよく観察してください。米がパッと花のようにひらく瞬間がある。火を止める合図です、ということだった。

 長い歴史、伝統ある料理には奥義、秘伝が生き続けている。それはこった料理に限らない。素食の王者・粥にあるのだ。茶と料理に精通した袁枚(えんまい;清朝の詩人)の『隨園食卓』に粥の秘訣が書いてある。日本曹洞宗開祖の道元禅師も修行僧の大事として、料理本『典座教訓(てんぞきょうくん)』を残している。お粥は修行僧の大切な食、したがって作り方が重要だと説く『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』も残している。

 彼が帰るとき、私は訊ねた。「あなたはだれですか?」

 彼はポケットから名刺を出した。そこに「中華人民共和国特一料理人」とあった。国家が授ける最高位の料理人だったのだ。

(佐野典代)

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