連載小説『阿Q外伝』第六回
6.美人はいらない
郭沫若(かくまつじゃく)という人のことも、ときどき俺の耳に入ってきた。魯迅はこの人と文章で激しくやりあっていたが、同じ目標に向けての論戦だったらしい。魯迅は、郭沫若という人は志の高い、精神も頭も強い人で、政党に所属しない民主的な文士で、重要な人物だと言っていた。作家や学者のような文化人は郭沫若が主張する民主同盟に結集し、「各党派による民主連合政府を樹立し、民主政治を実行しよう」と主張したということだ。魯迅も郭沫若も新しい国造りの愛国者なんだ。
戦争をする人間も反対する人間も愛国心からだと言うから、愛国心て複雑なんだなぁって思うけど、自国だけを大切にする単純なことではないってことは、学問をしなかった俺にも、少しずつわかってきたんだ。
戦争という野蛮な人殺しはやめ、民主政治を実行せよという活動は文化人を惹きつけたが、約一億の民兵が結集している毛沢東軍の耳には念仏みたいな活動だったようだ。
「あの小さな出来事が絶えず心に鮮明に現れ、私を恥じさせ、私を奮い立たせる」と書いた魯迅は、名もない弱い者のやさしさと強さが身に沁みて、絶対に戦争はしてはならない愛国者だったんだ。
しかし魯迅や郭沫若の言葉はむずかしくて、学問した者にしかわからなかった。
毛沢東の言葉は単純で巧みだったから、大勢の心を鷲掴んだのだ。
「革命の指導権は君たち労働者階級の手に握られていなければならない」とか、わかりやすかったから、毛沢東の言葉に若者の抗戦エネルギーは燃えた。
1945年8月8日、日本と不可侵条約を結んでいたソ連軍が約束を破って参戦し、毛沢東は八路軍と人民に、日本軍が占領している都市を総攻撃しろと命令し、8月14日(日本は15日)、ついに日本軍は無条件降伏した。
それと、周恩来と約束した内戦停止は、蒋介石の噓だったのだ。蒋介石は表で中国共産党と手を結び、裏でアメリカを頼り、共産党破壊を企んでいたというのだ。それで共産党(人民解放軍)は結局蒋介石との戦いを始めたんだ。
人民解放軍の猛烈な力に圧倒された蒋介石は、国民党の残党50万を引き連れて、日本の統治が終わった台湾へ逃げてしまったのさ。
策略、陰謀、人殺し、これが戦争なんだ。
蒋介石が台湾へ逃げた1949年、唐、宋、元とか明、清とか言っていた皇帝の時代の幕は下り、中華人民共和国という国家が誕生した。「打清興漢」の革命時代に親父魯迅は俺を生んだのだが、次の毛沢東らの革命のときは、親父はあの世の人になっていた。俺は新生中国の国民のひとりになった。国旗は五星旗、北京の天安門広場に30万人の民衆が集まった。毛沢東は高らかに宣言した。
「中華人民共和国中央人民政府は本日10月1日、ここに成立した」
新国家は労働者階級が指導する人民主義国家なんだという毛沢東の宣言に人民は喜び、天も割れんばかりに歓声を上げた。
人民主義ってどういう主義かわからなかったが、俺もいっしょになって歓声を上げた。俺の隣で狂ったように喜んでいる男に、「おい、人民主義ってなんだ?」と訊いてみた。男は皺だらけの顔にもっと皺をつくって笑って言った。
「俺たち貧乏な労働者が指導する国だって言ったんだから、俺たちが主人ってことさ」
男はどうにかこうにか服の形を留めているぼろ服を着ていた。今にも取れそうな上着のボタンが一つ、だらんと垂れ下がっていた。俺の服のほうが少しはましだった。俺の上着のボタンはちゃんと三つ、ついていたからな。こいつはまずい。俺は急いでボタンを三つ、むしり取った。俺の服にボタンはない。この男より俺のほうが下だ。俺より下に人はいない。これで俺はこの男に勝った。これが親父魯迅が俺に植えつけた精神的勝利ってやつさ。俺はすっかり気分が良くなり、取れそうなボタンを一つだけ服にくっつけている男に訊いた。
「俺たちが主人て、どういうことだ?」
「いい服が着られるってことだ。飯もちゃんと食えるってことだ」
「どうしてだ?」
「米や野菜をつくって国に納めれば、家族が食えるようになる。暮らしが良くなる」
「毛沢東は俺たちにいい暮らしをさせたくて、蒋介石や日本と戦争をしたのか?」
「その通りだ」男は胸を張った。
いい暮らしって、どういう暮らしなんだ? 魯迅は俺をだれからも相手にされない最下層人間に生んだのだから、いい暮らしなんて、生まれたときから無縁だ。
だけど俺が「打清興漢」革命のどさくさにまぎれて盗んだ絹のスカートを持っていたら、女たちがキャーキャー騒いで、俺に近づいてきたことがあったなぁ。絹のスカートを持っていれば結婚できて、子孫を残せるってことらしい。それがいい暮らしってことらしいな。
「跡継ぎのいない阿Q」って、頭がつるつるの若い尼に馬鹿にされたのも、俺が絹のスカートを女に買ってやれなかったからだ。絹のスカートが買えて、女房がいて、子どもがいて、家があって、食い物があるのが、いい暮らしってことなんだ。それは悪くない。しかしそうなったら、俺はだれを「にらめ」ばいいんだ?
俺の生きる術は「にらむ」ことと野次馬根性だからだ。それ以外の才能を親父魯迅は俺に与えてくれなかったのだ。
新しい国が生まれると、とにかくみんな泥まみれになって働き出した。毛沢東の命令にみんなが従い、朝から晩まで働き詰めだ。人民主義って、上の者にこき使われることなのかな。怠け者の俺はそんな風に思ったりしたもんだ。
新しい国になって10年くらい経ったときには、毛沢東はイキガミサマ的帝王になっていた。それより上はない。紅毛の連中はイエス・キリストとかいうカミサマを信じるようだが、この国のカミサマは軍服を着て、俺たちと同じ地面に立っている毛沢東なんだ。
イキガミサマの言葉が書かれた本が国中に行き渡った。毛沢東語録という小さい赤い表紙の本で、紅毛の連中の分厚い『聖書』みたいなものかなと思って、俺はいっしょに労働している丸顔の男に、見せてくれって頼んだんだ。
男が濁った黄色い小さな目で俺をにらんだもんで、にらみ返してやった。男は俺から目を逸らしたので、久しぶりにいい気分になった。
「何が書いてある?」小さい目で俺を蔑んだ男に溌溂と訊いた。
「立派なことが書いてある」小さい目の男は本の表紙を汚れた手で撫でながら言った。
「立派なことって、どういうことだ?」
「皇帝、英雄、美人は国を亡ぼすから消さなければならない。学者や知識人は役に立たない理屈ばかり言うから、軽蔑に値する。おまえのような頭の悪い人間に革命とはどういうことかをわかりやすく教えている本だ」
本の中身を尊んでいる男は、俺を軽蔑の目でにらんだ。俺の得意技はにらみだが、軽蔑でにらんだことはない。俺のにらみは、俺以下の人間はいないという実感を味わうために使う武器なんだ。俺のにらみで逃げて行く人間は、俺を相手にしたくないから逃げて行く。それで俺は満足する。幸せな気分になれるのだ。
それにしても、国中から美人をなくせだなんて、なんてことだ。美人がいるから、男は生き甲斐があるし、張り合いも出るのに。
イキガミサマは女嫌いなんだな。
美人がいなくなり、男の楽しみが消えると、どういう国になるんだろう?
(つづく)
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