2021-04-09

市中の山居より 第五回

わが輩は茶茶である

私は漱石の『吾輩ハ猫デアル』が好き。漱石の作品の中でも、この作品が一番好きだ。1903年(明治36年)、留学先のイギリスから帰国した漱石は、以前森鴎外が住んだ千駄木に暮らし、そこで『吾輩ハ猫デアル』を書いた。東京・千駄木一帯は江戸時代は上野寛永寺の土地。寺のお山は徳川家を守る聖なる森なので、木一本切ってはいけなかった。寺は煮炊き用の木を上野の山からこちら側の森を「千駄木御林」と呼び、その木を切った。千駄木とは「一日に千駄の薪を出す」という意味。「駄」は馬一頭に負わせる重さのことで36貫目、1貫目は3.75kgだから「千駄」は3750kgだ。

 漱石はその下宿で、近所にかなり悩まされ、神経衰弱(医学用語は「統合失調症」)になったことが『吾輩ハ猫デアル』によく描かれている。近所の人や学生が悪口を言っている、嫌がらせをしているという妄想や幻聴に悩まされたと…。

 小説の中の猫は、漱石の家の前に太田道灌の子孫の屋敷跡があり、その池に捨てられていた子猫が「苦沙弥先生」(漱石がモデル)の家にやってきたのだ。「吾輩は猫である。名前はまだない。」で始まるこの捨て猫は、漱石の名作によって「歴史に残る猫」になった。

 さて岩茶房にも一匹の猫がいる。「わが輩は野良である。名前は茶茶という」。茶茶の体重は7kg、堂々たる体をしている。住居は上目黒、千駄の木とは無縁、大好物は目黒のさんまだ。悩める客人の膝の上にピョンと乗り、あっという間に熟睡する。ストレスを抱える客人の多い昨今、岩茶と身勝手な茶茶の行為にいやされるらしい。今年で12年になる。後期高齢者だ。漱石の猫のように歴史には残らないが、岩茶房を訪れる人の心に残るようだ。“営業兼宣伝部長兼セラピスト”の役を、ご飯を食べさせてもらうだけで十分に務めている。(佐野典代)

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