2024-05-15

連載小説『阿Q外伝』第四回

4.傍観者はやめた

 厚ぼったい重い雨が、どかどか落ちてきた。あっという間に濡れ鼠だ。

 体の小さい、やせっぽちの男がふらふら歩きながら、さっきから独り言を言っている。頭がへんになったな、と俺は思った。

「黙れ」俺はそいつを怒鳴った。やせっぽちの男は俺を無視して顔を空に向け、大口を開けてぺろぺろ雨を舐めていた。俺も真似して雨を舐めた。腐った泥の匂いがした。

「こんな雨がうまいのか?」俺は訊いた。俺の声が聞こえないのか、男は飲み続けていた。 こいつに負けるのは癪だ。俺はもう一度顔を天に向けて口を大きく開いて、腐った泥の匂いがする雨を飲んでやった。そいつがやめるまで、俺は飲み続けた。

 男は顎が疲れたのか、雨を飲むのをやめ、顔を元に戻して、えへへと笑った。俺もえへへと笑った。男がなぜ笑ったのか分からなかったので、俺もなぜ笑ったのか分からない。

 西へ西へと移動を始めて一年が経った秋、俺たちはある村に入った。

「着いたぞ。終点だ。延安だ!」だれかが大声で叫んでいる。体に残っている声を全部吐き出すように「オーッ!」と俺も叫んだつもりだったが、腹が減っているので声は情けないほど弱かった。

 俺は延安がどこにあるのか知らない。延安で何が始まるのかも知らない。

  ずっと俺にくっ付いてえへへ、えへへ笑っている男に訊いても返事をしないので、ニコニコ嬉しそうな顔の男に、「おい、延安てどこだ?」と訊いた。

「陝西省(せんせいしょう)だ」「黄色い地面しかないぞ」緑の多い故郷紹興の景色と違って、そこは見渡す限りのっぺりとした黄色い大地だった。

「黄土高原だ」「聞いたことがないな。こんなところで何をする?」「ここを拠点に革命を始めるのだ」何か知っているらしい男は疲れが吹っ飛んでしまったらしく、張りきった声で教えてくれた。

 生き抜いた兵士たちに毛沢東は言った。

「18 の山を越えた。万年雪の山も越えた。2万5000 里(中国の 1 里は 500 メートルなので約 1 万 2500 キロメートル)の長征は種蒔きだ。たくさんの種を11 の省に撒き散らし た。種はやがて芽を出し葉がつき花が咲き実がなり、将来は必ず豊かな収穫を迎える。1 年をかけての長征はわれわれの勝利、敵の敗北という結果になる。結束しよう」

 毛沢東の語り口は巧みだ。短くて分かりやすい。毛沢東の宣言は、もう一歩も歩けない兵士の感情を刺激し、新しい気力を漲らせてくれた。

 人口わずか2000人の、貧しい地方の延安が重要な政治の中心地になったのはこの日からで、人口はあっという間に5万人に膨れ上がった。3万人は兵士と党関係者だ。

「3万人だと? 数が合わないぞ」出発したころの兵の数は 30 万人と俺は聞いていた。

 兵士の数が3万人以下に減っていたのだ。20 数万人は青い炎になってしまったのか。

 親父魯迅は俺に、「あの小説の終いは、処刑されるきみを群衆は笑いながら傍観している場面だ。それからのきみが考えることが、そこにあるのだ」と息苦しそうな声で言い、55 歳 で息を引き取ったんだ。肺の病気だった。今日から、これからの俺を考えなくてはならないらしい。むずかしいなあ。

 マルクス・レーニン学院が延安にできたのは、魯迅が死んだ次の年の 1937 年だ。ここで教育を受けたい青年たちが全国から集まってきた。

 書類が読めなかった俺は役人に「署名しろ」と言われたとき「字が書けない」と言うと「それならマルを書け」と言われた。それで〇を書いた。処刑に合意したという〇だったのだ。 自分の名前が書けない、字が読めなかった俺は市中を引き廻されて斬首されてしまったの だ。俺の処刑を笑って見物していた傍観者を、魯迅は憎んだんだ。俺が考えなくてはならないことって、魯迅が憎んだ傍観者のことなのかなあ。

 魯迅が言いたかったことに気づくには、読み書きができなくては始まらない。俺はマルク ス・レーニン学院で読み書きを学ぶ決心をした。懸命に学んだ俺は、どうにか字が書けるようになった、少し読めるようになった。進歩した俺に、魯迅はこう言うだろうな。――どうすれば世の中を変えられるか、考えなさい――。

 俺は考えた。金のない俺は考えた。考えるのに金はかからないからな。毎日考えていたら、閃いたんだ――傍観者をやめよう。

 改めて言うが、俺を生んでくれたのは魯迅という作家だ。生んでくれたと言うのは正確ではないな。『阿 Q 正伝』という小説で、魯迅は阿Qという俺を創ったのだ。俺の親はどこのだれで、いつ生まれたのか分からないことになっている。小さな村で日雇い暮らし、だれ にもまともに相手にされない極道者で野次馬。家がないから、村の地蔵堂に忍び込んで寝泊まりしている。字が読めない、書けない俺の特技は、相手をにらむこと。魯迅はそんな履歴の俺を創ったのだ。

 小説の中の俺は容疑者にされ、役人に捕まり罪人になってしまう。絹のスカートを盗んだことが重罪なのか、わけも分からず革命だ!革命だ!って叫んだのが罪なのか、さっぱり分 からないんだが、捕まって市中を引き廻され、首を刎ねられる運命にされてしまった。

 魯迅は俺にこんなセリフを随所で言わせてるんだ。――こういうことが人生にはあるん だ――。

 これがなかなか意味深いセリフだって、今は分かる気がする。権力が仕組んだ落とし穴に、傍観者だった俺は落とされたんだ。権力者の謀略に立ち向かわず、へらへら笑っている傍観者の俺や民衆を、魯迅は非難したのだ。

 作家魯迅の志から生まれた俺は『阿 Q 正伝』から飛び出して、一人歩きを始めようと決 心した。傍観者を捨てて、1921 年からの革命をこの目で見てやると決めたのだ。なぜ1921年かだって? 『阿 Q 正伝』が書かれた年だからだよ。そのとき俺は 30 歳くらいらしい が、正確な歳は分からない。

(つづく)

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