市中の山居より 第四回
お茶と豚
お茶の本を何冊か書いてきましたが、いつも頭を、いや鼻と舌を悩ませたのが味、香りの表現です。「キンモクセイの香り」とはっきり書けないからです。味、香りはセットです。別々に表現できず、必ず「・・・のような」と比喩の表現になってしまいます。
2月4日の朝日新聞朝刊におもしろい記事がありました。ワインに「猫のおしっこの香り」という表現があるというのです。「乾燥しかけた青草にちょっと焦げっぽさを合わせたような少しくせのある香り」という白ワインがあるのだそうです。「飲んでみようかな」なんて思わない匂いですが、逆にひと口味わってみたくもなるのが人間の好奇心というもの。お客さまにおいしくワインを飲んでいただく案内人がソムリエならば、お茶は? チャムリエとでも言いましょうか。
岩茶は味、香りが複雑ですから、表現も複雑になりがちで、悩みつつも私は結構楽しんでいるところがあります。「クチナシのような」「夜来香のような」「沈丁花のような」「伽羅のような」―みんな「のような」が付くのですが、ここに想像力を刺激する原因があるからです。
豚肉はトリ肉や牛肉よりアルブミン濃度が高いので免疫機能を高めるとか、ビタミンB₁を多く含んでいるので肥満のもとの糖質を分解してくれるとか、物質が明らかになっています。しかしお茶はそうはいきません。物質の解明可能な豚肉にロマンは感じませんが、お茶はまだまだミステリアスな物質、言い換えればロマンがあります。そこに想像力を刺激し、あきずにつき合える魅惑的な嗜好品のヒミツがあるのでしょう。
佐野典代
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