連載小説 阿Q外伝 第十二回
12.さらば、傍観者よ
「どこの茶だ」年老いた農民が訊いた。「安徽省宣城の茶で、ずっと前に手に入れたものです」「緑色でないのは、そのせいか」高齢の農民が言った。「長い月日が経っていますので……」詩人男は茶の色の理由を言った。
「飲まないでいたのか」気の長さに俺は感心したが、あきれてもいた。「ずっと隠していた」「見つかったら大変だからな」だれかが横から口を挟んだ。
「イキガミサマが飲んでいるという秘密の茶か?」俺の心臓はどんどん高鳴った。「とんでもない。宣城かどこかはわからないが、ある刑務所の農地で囚人が茶をつくらされていた。しかし囚人は一碗の茶も飲めない。全部幹部が巻き上げてしまう。囚人は石の壁に釘で“俺はエライ人たちの茶をつくった”と刻んで亡くなったようだ」
「これがその茶ですか」学問したらしい若い男が目を丸くした。「そうだと聞いています」詩人男は答えた。
囚人から直接もらったのではない。だれかの手を経て今ここにある、と詩人男は言っているらしい。そんなふうにぼやかしたのは、手を貸したその人に被害が及ばない用心からだろう。俺は感心したね。
学問したらしい若い眼鏡男は詩人男にさっと視線を投げてから、顔を天井へ向けた。眼鏡男が天井に顔を向けたのは、詩人男を疑ったからではなく、思いがけず飛び込んできた目の前の、いわくつきの茶に感動したからだろう。何年も虐げられ泥まみれの暮らしをさせられている眼鏡男は、幸福とか幸運の表現を忘れてしまったのだろうな。
「この瞬間よ、永遠に」若い眼鏡男が静かな声で言った。詩人男が眼鏡男にうれしそうな眼差しを向けたのを俺は見逃さなかった。なぜかって? ふたりだけにわかる言葉は良くないからだ。だから言ってやった。「俺たちに秘密はないぞ」俺は眼鏡男と詩人男を交互ににらんだ。詩人男は俺のにらみが理解できたらしく、「ゲーテだよ。ドイツの有名な作家の言葉だ」と言った。
「そんな奴、俺は知らん」「魯迅はドイツ文学をよく勉強していた。聞いたことはないか?」と詩人男が言ったとき、眼鏡男は即座に手で口を塞いだ。笑い声が外に漏れてはまずいからだろう。眼鏡男は手で口を塞いだまま、苦しそうにいつまでも笑っていた。やっと笑いが収まると、「この男はゲーテも魯迅もわかりませんよ」と詩人男に言った。
俺の出自は詩人男しか知らないんだ。話せば面倒なことになりそうなので、俺は眼鏡男を見て、「えへへ」と笑い、ぽりぽり頭を掻いた。詩人男は下を向いてしまった。親父魯迅がゲーテとやらを勉強したからと言って、俺とは無関係だ。学問なんて無縁の俺は目の前の茶をだれよりも多く、何杯も飲んだ。茶が喉を通ると胸があったかくなったのは、たまげたね。生まれて初めての感覚だ。俺は目を丸くしてしまった。
「こんなにうまい茶が飲めれば、国が滅びようと、わしはかまわん」高齢の農民がしわがれ声で言った。「おいおい、じいさん、恐ろしいことを言うね。茶一杯飲んだくらいで、そんな大袈裟なことを言うもんじゃあない」俺はじいさんに言ってやった。じいさんはニヤリと笑っただけだった。
「権力は異常な人物をつくるが、茶はどんな人間をつくるのでしょうかね」詩人男は言い、大事そうに茶碗を両手に包み持って目を閉じた。「ぼくたちの苦しみの源は何だと思いますか。あなたの考えを聞きたい」眼鏡男の黒い目がピカッと光った。なんだか、むずかしい話になってきた。茶を飲むとむずかしい話をしたくなるのかなァ。
詩人男は俯いて、手に持っている茶碗もじっと見詰めてから顔を上げ、体の奥深くに沈めておいた言葉を、さなぎから這い出てくる蝶のように、静かな声で眼鏡男に言ったんだ。「自由がむずかしくなったからでしょうか」
みんなが一斉に眼鏡男に向いた。そんなことを考えたことがない俺は目を白黒させた。「魯迅が苦しんだように、自由に生きるむずかしさ……ですね」眼鏡男は考え込むように腕を組んで、ボソッと言った。
「へえ、俺の生みの親父が好きなのか」俺は椅子から尻を持ち上げて詩人男と眼鏡男に言い、へらへら笑った。途中で、しまった、言っちまった、俺の出自の秘密をつい調子にのって眼鏡男に明かしてしまった。ちょっぴり後悔したが遅かった。
「ぼくらは命がけで話をしているんだ。混ぜっ返しはよせ」眼鏡男は初め呆気にとられた表情をしていたが、さっと鋭い目に変わり、俺をにらんだ。俺はにらみ返してやったが、ギラギラした眼鏡の奥の黒い目玉に、俺のにらみは後ずさりしてしまったんだ。俺のにらみは力を失った……。俺は身がすくみ、くらっとした。こんなこと初めてだ。
「彼は自分を阿Qだと思っているんですよ」詩人男が仲裁するように目尻に笑いを刻んで言い、「ときどきおかしなことを言うようですね。頭がちょっと狂っていると思えば、むきになることはありません」と気に入らない言葉で俺を庇った。
眼鏡男は、よりによって阿Qとは! どこで聞きかじったにしろ、そりゃ滑稽だとでも言いたげに頭を左右に何度も振ってから、「天才は苦しい人生を過ごしたんだ。時代が魯迅を苦しめたのだ。あんたの能天気が羨ましい。クククッ」と薄笑いをして、俺に熱い茶をついでくれた。俺をあざ笑ったあとで、茶をついでくれたのだ。どうしてだ? 眼鏡男も結局は変な男なのだろうな。
「囚人がつくった茶を、危険を覚悟で僕たちは飲んだ。罪人が茶に姿を変えて、ぼくたちに重要なことを語ってくれている……」若い眼鏡男は重いものを心にしまい込むように目をひときわきらきらさせて、自分に宣言するように言った。詩人男と眼鏡男は秀才らしい。親父魯迅も、清国の国費留学生として日本で学問したようだから秀才だ。
俺の目の前のボロを着たふたりの男と、清朝を倒そうと革命党のために身をすり減らしながら文章を書いていた親父魯迅とどこが違うのか。秀才たちが言うことなど俺にはさっぱりだが、わかったことは、親父魯迅と同じようにむずかしいことを語っているこのふたりも愛国者なんだろうということだ。俺は詩人男も眼鏡男もにらめなくなってしまった。一番年を食っている老人にも、俺は一目置くことにしたのだ。
囚人がつくった茶を、秀才と無学な農民たちはいっしょになって飲んだ。これは暗いボロ小屋の中の革命だ。俺はそれに参加したってことだ。傍観者になってはいけないと親父魯迅は言ったのは、こういうことだったのかなァ⁉
周恩来が死んだ9カ月後、イキガミサマが昏睡状態になった。不老不死だと思っていたイキガミサマが突然昏睡状態になったのだから、周恩来のように遺言を残す暇はなかったらしい。1976年9月9日午前10時10分、イキガミサマの心臓は停止した。
江青は、皇后の自分を後継者に指名しているはずだ、遺言書があるはずだと捜し回り、貴妃張玉鳳に、毛沢東の直筆原稿や遺品を寄贈しなさいと迫ったそうだが、張玉鳳は「遺品は国家のもの。あなたには渡せません」と突っぱねたらしい。皇后と対決した貴妃は、最後に意地と誇りを毅然と見せつけたということなのだろうな。
首脳部は、江青、王洪文、張春橋、桃文元を逮捕した。この四人が紅衛兵の先頭に立って国中を荒らし、大勢を死に追いやった四人組だからだ。江青は逮捕された。引っ張られていくとき、下女は唾をかけたらしいよ。
読書しただけで反社会主義的思想の人間だと見なされ、殺された知識人や、江青らに憎まれ殺された官僚たちの数は500万人とも1000万人とも言われる文化大革命と名付けられた恐怖の時代は、イキガミサマの死で1977年にようやく終わったのだが、貴妃張玉鳳が四人組逮捕に協力したとも終結を早くしたともいう噂がある。権力闘争なんて、振り返ってみればむなしいものだ。10年に及ぶ長い文化大革命終結の陰でイキガミサマに尽くした美女は、無理矢理離婚させられた。張玉鳳とふたりの子どもはどこへいったのか、結局だれも知らないという。
権力者が唱える自由とか平等なんて、俺の体を素通りするようになってしまった。自由とか平等を俺たちがちゃんと手に入れるには気の遠くなる時間が必要だろうなァ。だけど俺は、詩人男が茶碗を撫でながらぼそぼそと言った自由とかいうむずかしそうなものを、ちょっと欲しくなってしまった。
俺を創った魯迅に約束した通り、俺は長く生きた。しかし残りの時間はもう少ないだろう。「敵は多かった。反逆者とも言われた魯迅は、創作は孤独のさみしさを感じたとき生まれる。愛するものがなければ創作は生まれない。それが魯迅が大切にした生きる姿勢だったと私は思っているよ」詩人男はだれにも聞かれないように、俺に教えてくれたんだ。「一本の筆と愛と自由を創造する仕事に、きみを創(う)んだ魯迅は生涯を費やした。この茶を飲みながら考えるといいね」とも言った。
やさしい文章なら俺は読めるようになった。字も書けるようになった。残り少なくなった俺の人生の最後に、愛とはどういうことか、自由とはどういうことか、生きている間は考え、捜し、ちょっとばかりでいいから手繰り寄せて感じてみたい。傍観者よ、さらばだ。そう思えるようになったんだ。
(了)
主な参考文献
「魯迅作品集1」 竹内好訳 筑摩書房
「魯迅評論集」 竹内好訳 岩波書店
「中国現代史」 岩村三千夫、野村四郎著 岩波書店
「中国」 オーエン エリノア ラティモア著 平野義太郎監修 小川修訳 岩波書店
「鄧小平伝」 寒山碧著 伊藤潔訳編 中央公論社「『中国』という神話」 楊海英著 文藝春秋
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