連載小説『阿Q外伝』第九回
9.灰は祖国の大地に
宿舎に帰ると、みんなが茶を啜っていた。大きなヤカンに枯葉みたいな葉をちょびっと入れて、茶の葉が悲鳴を上げるまでグズグズ煮て、なんとなく色が付いているだけで味もそっけもない、湯よりはちょっとましな茶だ。親父魯迅も蒼い顔して文字を書きながら、綿入れの竹籠からでかい土瓶を出して飲んでいたなァ。俺は茶など飲んだことがないから味は分からんが、茶を飲んだ後の親父は、辛い仕事は忘れて茶を飲んでいたいなァって顔に見えた。あれはこんなのではなくて、ちゃんとした味だったんだろうな。
イキガミサマに忠実な若い者たちは、昔のモノを破壊しまくっている。茶の木も引っこ抜かれている。茶は封建時代の贅沢なものだからメチャクチャにするのだそうだ。なのにエライ人は、うまい茶を毎日飲んでいるらしい。それって、おかしくないか?
「イキガミサマはどんな茶を飲んでいるんだ?」俺は宿舎で一番学問したような近眼メガネを掛けた若い男に訊いてみた。生まれながらの農民に、メガネ男なんていない。周恩来とか劉少奇とかをヒソヒソ話していた男のひとりが、このメガネ男なんだ。
「茶王」男は言った。メガネの奥の目玉が鋭い。こんな目を見せる百姓はいない。
「どんな茶だ」「詳しいことは知らない。神仙郷で採れる特別な茶らしい」
「神仙郷か。そんな場所の茶なら飲んでみたいな」俺は真剣に言った。みんなは俺を嘲るようにククッて笑ったが、学問したらしい若い男は笑わなかった。その男は石をあっちに運び、あっちの石をこっちに運ぶ力仕事を何年もやらされているらしい。
「あんた、周恩来を知ってるか」俺はメガネ男に訊いた。どこでだったか思い出せないが、その名前が俺の耳に入ってきたのだ。俺は野次馬だからな。
突然、何を言うか! 驚きを隠す暇もなかったらしく、男はメガネの奥の目玉をまん丸にして「知ってどうする?」とかすれ声で訊いてきた。いつも声を潜ませて人目をはばかって会話をしているメガネ男は、俺を怪しんで警戒しているみたいだった。
「周恩来はどんな茶を飲んでいるんだ?」「龍井という茶だ」「うまいか?」「いい茶だ。飲んだことがないから、味は知らない」
「どんな仕事をしている人だ」俺は周恩来という人をできるだけ知りたくなっていた。
「病人だ」警戒心を緩めない男は話をすっ飛ばした。「どんな病気だ?」「癌だという話だ」
「死ぬのか?」「時間の問題らしい」と言って、男は湯のような茶を飲み干して、これ以上はおまえと話したくはないという態度で煎餅布団にそそくさと潜ってしまった。
しかしこの話がきっかけとなって、俺が密告者ではないと分かったらしく、メガネ男はときどき俺に周恩来の情報をそっと流してくれるようになった。メガネ男の頭の中は不満だらけになっていたみたいで、だれかに不満をポタポタ漏らすことで、頭と気持ちを楽にしたかったみたいだ。そのだれかが、よりによって俺とは、どういう風の吹き廻しだ? メガネ男はどこから情報を仕入れてくるのか不思議だったが、俺の諜報員になったみたいで、メガネ男より俺のほうが立場が上になった感じがした。こういう関係は生まれて初めてだから、くすぐったい気分だ。みんなにからかわれて、おいらは虫けらだと自覚したとき、精神的勝利を手にできる俺のたったひとつの誇りが奪われそうでまごついてしまったが、人生にはこういうこともあるんだというのが俺のテツガクだから、我慢することにした。
人民に人気のある政治家は目障りらしく、時間をかけてはじいていくのがイキガミサマの手口だと、メガネ男は言った。鎌のような細い月のある夜、宿舎の壁に背中をつけてぼんやりと月を眺めていた俺の隣にメガネ男が座り、憤ったり悲しんだりしながら、こんなことを言っていた。
「劉少奇が紅衛兵に捕えられて、頭を抑えられ、晒し者にされた。長征後、一時的に主席になり、その後名実ともに国家主席に就いた毛沢東のナンバーツーの劉少奇を罪人にし、身分を剥ぎ取って無職にした。今は紅衛兵でも、いつか自分の行為を悔やむ者がきっと出てくるだろうが……」
イキガミサマは、周恩来が最後の息をふーっと吐く瞬間を待っているらしいことが、俺にもだんだん分かってきた。イキガミサマの目の上のタンコブの消し方は陰湿で残酷だ。文化大革命というワナを国中に仕掛けて紅衛兵を操り、優れた政治家や文化人を辱しめ、長い時間かけて絞めつけていくらしいんだ。人格者が消えていくのは国家の損失だ。俺たちの損失だ。俺にだってそれくらいのことは分かるぞ。
新しい国づくりにも、周恩来の実務能力が必要だという話はよく聞いた。凶暴で無知な若い連中のやりたい放題の国の未来に、周恩来は強い危機感を持っていたらしいが、もう体が言うことを聞かない重病人になっていたのだ。民衆に人気があり、外国の政治家の信頼だって厚く、尊敬されていたらしい周恩来は骨と皮になって、1976年1月8日の寒い朝、命尽きた。78歳だ。周恩来は信頼していた人物に密かに遺言していたそうだ。
周恩来の人柄や実績は口から口へ伝わるもので、俺たちの耳にも流れ込んできた。俺は生まれて初めてジーンときたね。だって、周恩来はこう遺言して、自分の死後をその人物に託したそうだから。
――墓は立てないで欲しい。私の写真にバツ印をつけないでもらいたい――ってね。
墓を作れば人民が拝みに来る。その人たちは狙われる――。それが分かっていたから、墓や記念碑など立ててはいけないと言い残したらしいんだ。息を引き取った次の日、北京郊外のとある空軍基地から輸送機が一機、パイロットは目的を知らされないまま飛び立ったそうだ。祖国の大地に灰を撒いてくれって遺言したのだそうだから、隠密裏に行われたんだ。彼の死を悲しむ人民が追悼会を行えば攻撃目標にされることを、周恩来は心配したんだろう。
写真にバツ印をつけないでもらいたいって、どういうことだって、俺はメガネ男に訊いた。「死後も誤った政治に立ち向かうという周恩来の意思表示だと思う」メガネ男は自分の考えなのか、だれかの考えを口にしたのか、とにかくそう応えた。
俺は死んでも野次馬だが、周恩来は死んでも民衆を気にかけ、国家の進み方を心配していたんだから、人間の出来の違いはこういうふうに現れるんだなァ…。上に行っても精神は腐らない、国を思う周恩来みたいな人もいたんだ。
(つづく)
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